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Always All Ways

Apologies, Glances and Messed Up Chances

社会的必然性としてのアジャイル

Agile Management

今朝、巷でちょっと盛り上がっていたやつに私も乗っかっておきます(笑)。
# 最初は乗っかるつもりはなかったのですが、読めば読むほど味わい深いので、私なりの解釈や思うところを書き記しておきたいと思った次第です。
# 元記事の著者お二人の意図に反した解釈を勝手にしている部分もあるかもしれませんが、あくまで私なりの解釈とそれらについての個人的見解とご理解くださいね。

元記事ふたつ

著者のお二人は個人的にもお付き合いがありどちらも尊敬している人です。ユーモアまじりの記事の中でそれぞれの視点や考え方が出ていて興味深く読みました。
まず、両記事を読んで私が感じたのは、(おそらくお二方も承知の上で敢えて書かれているのだと思いますが)

  • 「どちらが楽か」というのは、PMやコーチとしてメンバーのメンタルモデルに思いを巡らすのは有用かつ必要なことだとは思うけれども、「問い」の立て方としてはあまり筋のよいものではないな。

ということです。
とは言え、これはこれでいろいろ考えるきっかけにはなりました。

社会的必然性としてのアジャイル

そんな中で、この一連の話の中で何か一つだけポイントとなる箇所を選べと言われたら、私は迷わずRyuzeeさんの記事の以下の部分を挙げると思います。

ちなみに、工場でのものづくりにおいて、少ない品種の大量生産から多品種少量生産に変わったのは、社会的必然性があったからで、ウォーターフォールからアジャイルへの流れも社会的必然性と僕は捉えている。

さらに言えば、これは単にソフトウェアやシステム開発の話にとどまらず、経営全体の話の中で認識しておくべきことかと思います。(そのあたりが、このブログの過去記事の経営にとってのアジャイルだとかエンタープライズ・アジリティについて考えるシリーズとかにつながるものと考えます。)

で、本当にそうなのか?
というのをビジュアルに示しているのが、Steve Denningがよく使っているこのグラフたちです。
f:id:tmaegawa:20120420121448j:plain
(Source: How Do You Explain Radical Management (Or Agile) To A CFO? - Forbes)

マネジメント手法との因果関係は明確でないし、結果からサンプルを作為的に抽出しすぎではないかとの批判もあるかと思いますが、Steveの言うところのRadical Management(システム開発におけるアジャイルに相当)を採用する企業と従来型から転換できなかった企業の株価を見れば、歴然でしょ?というグラフです。

コミットメントや最大限の努力に関する誤解

あと、これはその後のtwitter上でのやりとりでも議論されていましたが、まだまだコミットメントとか最大限の努力についての誤解が多いのかな、という印象です。
そのあたりの解説は、id:kent4989さんの方の記事でも引用されている

を落ち着いて読めばRyuzeeさんの言わんとしている真意は誤解なく伝わると思うのですが、なかなか難しいのですかね?
ちなみに、私の昔のブログでも

という記事の中でコミットメントに対する考え方を書いています。

向き不向きの話で終わらせてよいのか?

話を元に戻しますが、もう一つ興味深いのは、Ryuzeeさんの記事の書き方として

となっているところの読み方です。
Ryuzeeさんが意図されているかどうかわかりませんが、私にはこれが「ダメな顧客、ダメな開発者・開発チーム大集合のリスト」に見えてしょうがないのです。
もちろん、商品・サービスの特性や組織の文脈によってそこでのプロセスや方法論に向き不向きがあるとは思います。が、それを「うちはこういう組織でこういう商売なんだから、これでいい」と考えるのか「社会の変化などを考えると、そもそもこういう組織だったりこういう商品やサービスを提供していること自体がマズいのではないか?」というところまで踏み込んで考えられるのかは大きな違いだと思います。
そして、それを考えることこそが、「社会的必然性としてのアジャイル」や「エンタープライズ・アジリティ」を考えることに他ならないのではないでしょうか。(誤解のないように言っておきますと、なにも「アジャイル開発が向かないような組織は会社としてももうダメだ」などという暴言を吐くつもりはないですからね。ただ組織の文脈ありきで向き不向きを判断するのではなくもう一歩踏み込んで考えてみてもいいのでは?という話です。)