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書籍「民俗のふるさと」(宮本常一)

二人の常一

以前、「二人の常一」という表現をしたのは誰だったでしょうか。確かに私の周りでよく聞く常一という名前の人物には二人が存在します。一人は、宮大工の西岡常一(つねかず)、そしてもう一人が今回取り上げる書籍を書いた民俗学者の宮本常一(つねいち)です。今回、改めてリンクを貼るためにWikipediaを見て気がついたのですが、西岡が1908年生まれ、宮本が1907年生まれということで年齢も非常に近いのですね。
西岡棟梁についても、私が社会人になって間もない頃に「木に学べー法隆寺・薬師寺の美」を読んで、えらく感銘を受けたのですが、今日は、そちらではなく、宮本常一の本について書きます。

宮本常一と父の教え

宮本常一と言えば、主にIT系の方で羽生田さんの話を聴いたことのある人たちは、「あぁ、あの十箇条の餞の言葉を父からもらった人ね」、ということで記憶されているのではないでしょうか。私自身も最初に宮本常一のことを聴いたのは、羽生田さんの講演でした。宮本常一がこれほどまでにIT系のコミュニティ界隈の人々に認知度が高いのは、羽生田さんの功績と考えて間違いないでしょう。
しかしながら、一方で「宮本常一=父の教え10箇条」止まりで、実際に著作を読んだ人というのはそれほど多くないのではないでしょうか。実は私も、せめて「民俗学の旅」「忘れられた日本人」くらいはいつか読もうと思いつつ手に取ることもなく今に至っています。ちなみに、その2冊については、棚橋弘季さんがブログに詳しい書評を書かれています。それを読むと、宮本常一という人物がどういう人物かとかそれぞれの本にどんなことが書かれているのかがわかったような気になれるかもしれません。
民俗学の旅/宮本常一:DESIGN IT! w/LOVE
忘れられた日本人/宮本常一:DESIGN IT! w/LOVE

民俗のふるさと:命令せられないであふれ出るエネルギーの根源

そんな中でつい最近、「民俗のふるさと」河出書房新社から文庫化されて出版されたようですので、早速購入して読んでみた次第です。

前置きが長くなりましたが、本題です。まず、本書がどんな内容なのかというのを裏表紙から拾ってみると、

日本に古くから伝えられている生活文化を理解するには、まず古いものを温存してきた村や町が、どのように発達して今日に到って来たかを知っておく必要がある、という視点から具体的にまとめられた、日本人の魂の根底に遡る生活空間論。町と村の実態調査からコミュニティ史を描く宮本民俗学の到達点。

となっています。

本編自体には、町や村の成り立ちや仕組み、その中で生きる人々や慣習などがさまざまな切り口で記述されていきます。読みながら気になる部分を引用しながら感想を述べてみようかとも思いましたが、ちょっとそれは断念して、あとがきの中から2箇所ほど引用してみたいと思います。

…そうした慣習や行事は、時にはたいへん大切にされることがあるかと思うと、時にはお粗末にされ、またこれを消してしまおうとする努力の払われることもあるが、生活の中にしみこんでいるものとして、日常のなんでもない行為や物の考え方の中に生きていることが多い。

それが時にはわれわれの生活文化を停滞させることもあるが、誰に命令されなくても自分の生活を守り、発展させるためのエネルギーにもなる。ほんとの生産的なエネルギーというものは命令されて出て来るものではない。…

著者もあとがきの別のところで述べているように、こういった力が日本が敗戦から立ち直るのにつながったかもしれませんし、また、今回の震災あるいは過去何度となく日本を襲った震災からの復興を奥底から支えていたのかもしれません。3.11を迎えるにあたって、改めて「命令せられないであふれ出るエネルギーの社会的な根源」について考えてみるきっかけになる一冊だと思います。

民俗のふるさと (河出文庫)

民俗のふるさと (河出文庫)